
2025年12月27日、サウジアラビア・リヤドで開催された「Riyadh Season」。
世界中のボクシングファンが熱視線を送った今年最後のビッグマッチ、井上尚弥 vs アラン・ピカソの一戦は、大差判定(3-0)で井上尚弥が勝利を収めました。
スコアだけを見れば、120-108を含む「危なげない完勝」です。
しかし、試合直後のリング上でマイクを握ったモンスターの口から出たのは、勝利の喜びではなく「反省」と「苦悩」の言葉でした。
「今日は良くなかった」
「もっと差を見せたかった」
なぜ井上尚弥は、世界トップランカーを完封しながらも「納得していない」のか?
そして、なぜタフなメキシカン、ピカソは最後まで倒れなかったのか?
現地リヤドで見えた試合の機微、リング外で起きた「ウシクとの遭遇」、そしてその裏にあった「年間4試合」という過酷な現実について、一夜明けた冷静な視点で詳しくレポートします。
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試合結果:主導権は常に井上、それでも「理想」には届かず
まずは公式結果の振り返りです。
- 勝者: 井上尚弥(日本 / 大橋ジム)
- 結果: 判定3-0(120-108, 119-109, 117-111)
- 内容: 終始プレッシャーをかけ続けた井上が完勝
ジャッジ1人がフルマークをつけるほど、井上尚弥の支配力は際立っていました。アラン・ピカソ(メキシコ)のタフネスと手数に対し、井上は終始冷静に対処。被弾による危険な場面は「ほぼゼロ」といえる内容でした。
しかし、その「勝ち方」のプロセスに、井上自身が求める理想とのギャップがありました。試合展開を3つのフェーズに分けて振り返ります。
序盤(1R〜4R):意図的な「L字ガード」でのデータ収集
ゴングと共に世界を驚かせたのは、井上の立ち上がりです。
いつもより低い重心、そして左腕をだらりと下げる「L字ガード」気味の構え。これは単なるパフォーマンスやナメてかかったわけではなく、明確な意図がありました。
井上尚弥のコメント:
「どんな構えが一番フィットするか、最初に探っていた。相手の出方を見るためのテストだった」
ピカソは低い姿勢からハイガードを固め、小刻みにプレスをかけてくるスタイルです。井上はあえて異なる構えを見せることで、相手がどう反応し、どの距離でパンチを出してくるかの「データ収集」を行っていました。
1R中盤、ピカソが不用意に踏み込んだ瞬間に合わせた左ジャブのカウンターは、まさにこのテストの成果でしょう。この一発で、ピカソは「安易に入れない」という恐怖心を植え付けられました。
中盤(5R〜8R):「誘い」と「支配」のボクシング
データ収集を終えた2ラウンド以降、井上はガードを少し緩め、相手に「打たせる」隙を見せる“誘うボクシング”へシフトしました。
ピカソの出入りに合わせ、鋭いジャブと、ボディへの打ち分けを開始します。
特に光ったのは、左ボディブローのアングルです。
ピカソの高いガードの隙間を縫うように、あるいはガードの上からでも叩きつけるようなボディは、会場に鈍い音を響かせていました。
スコアカードだけを見れば、文句なしの「完勝」です。
しかし、誰よりもこの結果に満足していなかったのは、井上尚弥本人でした。
「もっと差を見せたかった」
リング上で語られたその言葉からは、単に勝つだけでは許されない、モンスターゆえの孤独な責任感が滲んでいました。
観客が沸くようなKO決着ではなかったことへの悔しさ。それは、彼が自分自身に課しているハードルがいかに高いかを物語っています。
終盤(9R〜12R):倒しに行った井上 vs 耐えたピカソ
「そろそろ終わらせるか」
会場の空気がそう変わったのは9ラウンド以降です。井上のギアが一段上がり、コンビネーションの回転数が上がりました。
しかし、ここで立ちはだかったのがアラン・ピカソの驚異的な「ガードの堅さ」と「ディフェンスの芯」です。
井上の強烈な右ストレートを被弾しても、ピカソはガードを崩さず衝撃を吸収し、決して膝をつきませんでした。被弾直後に必ず打ち返す「メキシカン特有のカウンター」も、井上の追撃を分断させました。
また井上の右ガードが下がった時の「左フック」はとてもキレを感じ、狙っていたのだろうと思いました。
結局、決定的なダウンシーンは生まれず、試合は判定へ。
勝利なき敗北のような空気が、一瞬だけリング上を包みました。
なぜ「倒しきれなかった」のか?ピカソの正体
試合終了のゴングが鳴った瞬間、井上の表情に笑顔はありませんでした。
勝利者インタビューで語られたのは、会場の空気を一変させるような言葉でした。
「今日はちょっと良くなかった」
「集中力に欠ける場面があった」
「もっと差を見せたかったし、しっかり倒したかった」
なぜ、今の井上尚弥をもってしても倒せなかったのでしょうか?
1. アラン・ピカソの「負けないボクシング」
対戦相手のピカソは、事前の予想以上に守備意識が高く、崩れにくいファイターでした。
「一発当ててやろう」という色気よりも、「絶対に倒されない」という生存本能が勝っていたように見えます。足幅を広げて踏ん張り、常にガードを意識することで、相手のクリーンヒットを最小限に抑える技術は、世界ランキング上位の実力を証明していました。
2. モンスター自身の「甘さ」?
「想定内のタイプだったが、完全に崩せなかった」と井上が語る通り、ピカソはタフでしたが、過去の対戦相手と比べて「別格」だったわけではありません。
凡百の王者であれば「タフな相手に大差判定勝ち」は誇るべき実績です。それを「自分の甘さ」「集中力の欠如」と断じてしまうところに、井上尚弥が目指している場所の高さ、孤独さが浮き彫りになりました。
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過酷すぎた2025年:「正直、しんどかった」
今回のパフォーマンスに影響を与えた(かもしれない)もう一つの大きな要因。それは「年間4試合」という、現代のスーパー王者にあるまじき過酷なスケジュールです。
近年のボクシング界、特に王座統一戦クラスでは、年間2試合がスタンダードです。準備期間、試合、休養を考えるとそれが限界だからです。
しかし、2025年の井上尚弥のロードマップは異常とも言える過密さでした。
- 1月: キム・イェジュン戦 / 4R KO
- 5月: ラモン・カルデナス戦 / 8R TKO
- 9月: ムロジョン・アフマダリエフ戦 / 判定勝利
- 12月: アラン・ピカソ戦 / 判定勝利
世界トップ水準のランカーたちと、1年で4度も拳を交える。
常に最高のコンディションを作り、減量をし、世界中からの「勝って当たり前」というプレッシャーに晒され続ける。この精神的疲労は計り知れません。
井上尚弥のコメント:
「正直しんどかった。でも最後までやり切れてホッとしている」
試合後のこの言葉には、リング上の「怪物」ではなく、一人の人間としての素顔が垣間見えました。
「集中力が切れる場面があった」という反省も、肉体と精神を極限まで削り続けた1年の代償、いわゆる「勤続疲労」が少なからず影響していたのかもしれません。
番外編:会場にウシクとゴロフキン!まさかの「サインおねだり」


少し重たい話になりましたが、現地リヤドではこんな微笑ましい、いや「歴史的」な事件も起きていました。
リヤドの会場最前列には、ヘビー級統一王者オレクサンドル・ウシクと元世界ミドル級絶対王者「GGG」ゴロフキンの姿がありました。
試合後、なんとウシクの方から井上尚弥のもとへ歩み寄り、笑顔で何かを話しかけると、持っていた入場パス(?)にサインを求めたのです。
P4P(パウンド・フォー・パウンド)の1位と2位が交錯する瞬間。
身長191cmのヘビー級王者が、165cmのバンタム級王者に敬意を表してペンを渡す。
まさに「強さにサイズは関係ない」ことを象徴するような、リヤドの夜ならではの光景でした。
世界最強の称号を争う2人が、互いにリスペクトし合う姿に、現地のファンからも大きな歓声が上がっていました。(それにしても、並ぶとウシクのデカさが際立っていましたね…!)
また、この日はアンダーカードで出場した中谷潤人や寺地拳四朗も、それぞれの持ち味を発揮して会場を温めていました。
「日本ボクシング界の層の厚さ」を世界に見せつけた一日だったと言えるでしょう。
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結論:勝ってなお悩み、進化する「求道者」
今回のリヤド決戦を総括すると、以下のようになります。
- 結果: 判定は文句なしの完勝(危険なシーンは皆無)
- 内容: 「安全運転」に見えるほどのリスク管理
- 本人の評価: 「不合格」(倒しきる理想に届かず)
井上尚弥にとって「勝つこと」はもはや最低条件であり、目的ではありません。
彼の中にあるのは「常に最高であること」「圧倒的であること」という使命感です。
「日本が盛り上がる試合を実現したい」
最後にそう語った井上尚弥。
勝ちながら悩み、勝ちながら反省し、それでも前へ進む。その姿こそが、私たちが熱狂する「世界最強」の本質なのかもしれません。
2025年の激闘を終え、少しの休息の後、2026年に彼がどんな景色を見せてくれるのか。
フェザー級転向か? それともバンタムでの究極の仕上げか?
ファンの期待は、この「納得していない勝利」によって、また大きく膨らむことになりそうです。
まずはゆっくり休んでください、モンスター。1年間、本当にお疲れ様でした!

