パウンドフォーパウンド

パウンドフォーパウンド歴代ランキングトップ5!日本人最強は誰?

もしも体重の区別がなかったら、一体誰が一番強いのか?その空想のような問いに答える形で生まれたのが「Pound for Pound」という概念です。

1990年にリングマガジンがパウンド・フォー・パウンドのランキングをスタートさせましたが

元々は拳聖と称されるシュガー・レイ・ロビンソンやベニー・レナードを称え、彼らがあらゆるボクサーの中で最強であるということを表す言葉だったようです。

今では、ボクシングのみならず、MMAやあらゆる格闘技で言われるようになったパウンド・フォー・パウンド

現役選手のみならず、過去の名選手も含めたボクシング歴代パウンド・フォー・パウンドのランキング、そして日本にもスポットライトを当てて

そのレコード、ボクシングスキル、タレント性、人気、ライバル、影響力などから考えていきたいと思います。

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パウンド・フォー・パウンド 歴代ランキング

第5位:ロイ・ジョーンズ・ジュニア

1989年プロデビュー、ミドルからヘビー4階級を制覇し、1990年代最高のボクサーと称されるロイ・ジョーンズ・ジュニアを第5位にしました。

引退したのはなんと今年2018年の2月8日!スコット・シグモンと戦い、3-0の判定勝利を収めています。

全盛期の動きにはもちろん程通いですが、49歳になっても戦い続けられるのはやはりその卓越した身体能力のたまものでしょう。

(税金の未納があって、そのお金を稼がなければいけないのも理由の一つ。。。)

ダラッと下げた両手からいきなり飛び込んでの右ストレート、カエルのように飛び跳ねて打つ左のアッパー&フック、ロープ際で詰めに行く時のハンドスピード

そして相手をおちょくるようなダンスステップ、これで多くの選手が撃沈されました。

印象深いのは、まず17戦目のアート・セルワノ戦。1R1分40秒、ジョーンズの大ぶりの右をセルワノがガードしたように見えるのですが

そのままダウン。しかも白目を向いて、ジョーンズの一撃の強烈さがわかります。

そしてなんといってもグレン・ケリー戦、これはジョーンズ紹介VTRがあれば外せない1戦です。両手を後ろに回し相手のジャブをよける

そこまでなら他の選手もしてそうですが、そこから右フックで相手をノックダウン。

手を後ろに回しているのでテレフォンパンチになりそうなものですが、ジョーンズのハンドスピードはそんなこと関係なしなんでしょう。

ロイ・ジョーンズと2戦して1勝1敗(といっても1勝は反則勝ち)のモンテル・グリフィンは

同じくスピードスターのフロイドメイウェザージュニアともスパーリングの経験があるそうですが、比べ物にならないくらいジョーンズの方が速かった、と述べているそうです。

最近では、2014年のハニー・アチーヨ戦が凄い!ジョーンズは45歳ですが

ハイスピード左ボディ一発でKOしています。

そのスピード、正確性、実力差があるからかもしれませんが、やはりジョーンズは強いと思わせてくれる一発です。

自身が出している音楽「Can’t be touched」のように、まさにアンタッチャブルな男、ロイ・ジョーンズが第5位です。

生涯成績:75戦66勝47KO9敗

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第4位:フロイド・メイウェザー・ジュニア

ありきたりですが、やはりこの男は外せません。

マイク・タイソンは「フロイドの試合は芝生が育つのを見ているようなもの、本当に退屈だ」と言っていますが、そのディフェンスを崩す選手が現れなかったのも事実。

史上初めて無敗のまま5階級を制覇し、マクレガーとの試合を含め50戦50勝と無敗のまま引退した生きる伝説、フロイド・メイウェザーが第4位です。

  • オスカー・デラ・ホーヤ、
  • ファン・マヌエル・マルケス
  • シェーン・モズリー
  • ミゲール・コット
  • サウル・アルバレス
  • マニー・パッキャオ

数々の超ビッグネームを蹴散らしてきた男、歴代PFPに入れずにはいられません。

よく思うのが、ゴロフキンと渡り合い、アミール・カーンを完全KOしたアルバレスを、メイウェザーはまるでボクシング指導をするようにコントロールしています。

対戦相手の質が、メイウェザーの凄さを物語っています。

ボクシングはあくまでもポイント制のスポーツ、逃げてばかりで弱いと揶揄するファンもいますが

そのディフェンステクニックを突き詰めたメイウェザーは史上最高のチャンピオンの一人に間違いはありません。

トレードマークであるL字ガードは、エイドリアン・ブローナー等多くの選手が取り入れていますが

メイウェザーほどの域には誰もいけていません。

ジョー小泉氏は、ブローナーの試合の解説中、L字ガードをする選手は多くいるが、メイウェザーの反射スピードが断トツで早いと言っています。

彼の強さが如実に表れていると思ったのが、対シェーン・モズリー戦。おそらくメイウェザーのキャリア中、最も危険だったのは間違いなくその第2Rでしょう。

ストレートと右フックをくらい、膝からガクンと落ち、あわやダウンかTKOになるんじゃないかというくらいまで追い詰められました。

しかし、そこからが凄かった。3Rからは何もなかったかのように主導権を握り、結果的には3-0の判定勝ち。

これにはおそらくメイウェザーの首の強さ、そして足腰の強靭さと膝の柔らかさが関係しているのだと思います。

リングの外で暴力沙汰等問題の多いメイウェザーですが、ボクシングに対しては真面目そのもの。体重超過なんて一度もなし。

他のファイターが寝ている時、俺は練習している。他のファイターが練習している時、俺ももちろん練習していると豪語するほどの練習の虫。

Showtimeのメイウェザーのドキュメントで、ジムにいる子供に対し

「チャンピオンならミットでも、スピードバッグでも、全ての事で他の選手よりも上手くなくちゃいけない」と言っているのが印象的でした。

「Hard Work,Dedication!」メイウェザーがよく口にする言葉ですが、まさにボクシングに対しては本当にその通りの姿勢をとっていました。

ディフェンスだけで、オフェンスは強くない。という方には、メイウェザーのスーパーフェザー、ライト級時代の戦いを見ていただきたいですね。

ミッキー・ウォードとの激闘を繰り広げたアルツロ・ガッティを完膚なきまでに叩きのめした連続の右

お手本のような左フックを何度も食わらせたディエゴ・コラレス戦

そしてこちらはウェルター時代ですが、対リッキー・ハットン戦で見せた、コーナーに誘い込んでの体を回転させての左フック!

たしかにスーパーウェルターに入ってからは攻撃力は相対的に目減りしていますが、そのオフェンスも超チャンピオン級と言わざるを得ません。

自己プレゼン能力も高かったと思います。

キャリア晩年は落ち着いたように見えますが、相手を愚弄するトラッシュ・トーク、The Moneyと言われるほどの金への執着を見せ、嫌われる事で注目を浴びた選手です。

どの試合かは不明ですが、デビュー間もない頃のインタビューで、「俺のことを好きでも嫌いでも、それは関係ない。どっちもチケットを買ってくれるんだから」

と言う映像がShowtimeで流れました。

日本の亀田興毅選手がインタビューで

「ボクシング選手は商品、その商品を好きになろうが嫌いになろうが、お金を払っているお客さんの自由、興味を持たれないのが一番だめ」

と言っていましたが、それはメイウェザーのような選手を見てきたからだと思います。

今はメイウェザープロモーションズで、ガーボンタ・デイビスのような逸材を発掘し、選手を育てる側に回っているメイウェザーですが

ビジネスにおいてもその才を存分に発揮してくれると思います。

メイウェザーに関しては、リアルタイムで試合を見ているだけに

いくら書いても書き足りませんが、アスリート長者番付でも1位になるなど、ボクシングの地位を向上させることに大きな貢献をしたフロイド・メイウェザー・ジュニアが第4位です。

生涯成績:50戦 50勝 27KO

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第3位:マニー・パッキャオ

パッキャオは、パウンド・フォー・パウンドを地で行く男だと思います。

デビューはライトフライ級、そしてフライ級で王座を獲得し、アントニオ・マルガリート戦でスーパーウェルターを獲得

飛び級はしているものの、10階級を制覇。フライも含めたらなんと11階級!

上述の通り、パウンド・フォー・パウンドは、もし体重の別がなかったら誰が一番強いのかという事を決める、いわゆる空想の話。

しかしパッキャオはそれをリアルでボクシングファンに見せてくれた、

まさにリアルパウンド・フォー・パウンドなのです。

第4位のメイウェザーと戦って敗れていますが、それでも3位に持ってきたのは、パッキャオが対戦相手と打ち合い、分かりやすい強さを証明してくれるからです。

メイウェザーにはなかったライバルの存在も大きい。エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケスとの勝った負けたの大激闘は、彼のボクサーとしての価値を大いに高めました。

「ミスマッチだ。」「絶対に負ける」と言われたオスカー・デラ・ホーヤ戦。

リング中央に並ぶ二人の体格差は明らかでした。

それでも、その抜群の踏込から放たれる左ストレートから始まるラッシュでデラホーヤは防戦一方。

デラホーヤの体重による体調不良の影響もあったでしょうが

小柄な男が自分より大きい男を次々と倒す、しかもその男はフィリピンの貧しい漁村から這い上がってきたとなれば、まさにアメリカンドリーマーです。

デビッド・ディアスはパッキャオのスピードをまるで猫のようだと、寺尾新はパンチがどこから来るかわからない、まるで千手観音のようだったと形容しています。

リッキー・ハットンを大の字でマットに沈めた左のように、力はもちろんあるんですが

何よりスピードが凄かったというのが、彼と対戦した選手がよく口にする言葉ですね。

しかもそれが体重を上げて言われているんですから凄い!ローマンゴンザレス程の選手でも、4階級目では精細を欠き、シーサケット・ソールビンサイにKOで負けています。

 メイウェザーがドーピング疑うのも無理ありません!

戦績を見ると負けも多いんですが、多くの人が評価するのは数々のビッグネームと、しかも「今度は負けるだろ」と思わせるような選手と戦い勝ってきたという事実です。

パッキャオの試合が見たいから、という理由でフィリピン国内の紛争すら止めてしまうパッキャオの力、やはりパウンド・フォー・パウンド、最強を語る時は外せないボクサーの一人です。

成績:68戦 59勝 (38KO) 7敗 2分

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第2位:モハメド・アリ

第2位はモハメド・アリ、2016年に亡くなられた事も記憶に新しい、伝説のボクサーです。

アリがボクシングを始めたきっかけは、大切にしていた自転車が盗まれ警察に行こうとしたところ、

その警官がボクシングジムのトレーナーだったことから、盗まれた自転車を取り返すため強くなろうと思い始めたという。

その自転車を盗んだ犯人に感謝しないといけませんね!複雑ですが・・

アリは1960年のローマ五輪で金メダルを獲得し、プロ転向。プロ転向後、彼を伝説たらしめる様々なストーリーが待っています。

まずはソニー・リストン戦。大方の予想はソニー・リストン絶対的有利。上述のパッキャオ対デラホーヤの比ではありません。

しかも試合前からアリはリストンの事を見下しまくり

「あんな醜い男はチャンピオンにふさわしくない、チャンピオンは俺のように美しい男だ!」と、完全に観衆はリストンに味方します。

もう絶対負ける、と予想されました。その予想はもう、リストンは何ラウンドでアリを倒すかという事に向けられてさえいるというレベルです。

しかし、試合終了後リングに響いたのは「I must be the Greatest!」という今AppleのCMでも流れているモハメド・アリの名言。

アリはこの試合前、「試合の夜、リングサイドで人が死ぬ。ショック死だ!」と暴れながら言っていますが、まさにそのくらいの衝撃でした。

ダイレクトリマッチでもソニー・リストンに勝利

今度は2ラウンドのKO勝ちで、あの有名なアリが倒れているリストンに「立ってこい!」と叫んでいるような写真が撮られたのはこの時です。

アーニーテレル戦も印象的です。

アーニーは試合前、アリの事をわざとカシアス・クレイと改名前の名前で呼んでいました。アリはこの名前を白人の奴隷主からつけられた名前だと忌み嫌い

イスラム教に改宗しモハメド・アリと名乗っていたのです。

アリはアーニーとの試合中「What’s my name?!」と叫び続け、アーニーをこてんぱんに痛めつけました

その後、ベトナム戦争徴兵拒否の問題もあり、リングに上がることすら出来なくなったアリですが、3年でカムバックをします。

ボクサーにとって、3年という月日はとてつもなく長いはずです。

亀田興毅選手が2年のブランクを作って、1試合だけのカムバックをする企画が出ていますが、それに対する他ボクサーの反応は、かなり厳しいというものでした。

アリの場合も同じでしょう。しかし、彼を伝説たらしめるストーリーはこの後やってきます。

彼の最大のライバルの一人、ジョー・フレジャーへの挑戦です。

しかし彼はここで、プロキャリア初めての負けを経験します。アリがフレジャーの左フックで沈みました。結果は判定負け。

普通はここで引退するのでしょうが、その3年後の1974年、フレジャーへ雪辱を果たします。そして、ジョージ・フォアマンへの挑戦を表明します。

この挑戦は、ソニー・リストン初戦以上に無謀な挑戦だと思われていました。フレジャーは、ジョージ・フォアマンにKO負けしているのです。

しかもその時フォアマンは負けなしの25歳、アリは下降線と見られている32歳です。

「Rumble in the Jungle」(ジャングルの決戦)と呼ばれたこの試合は

明らかに劣勢にたっていたアリが第8ラウンドでスタミナ切れを起こしたフォアマンを一気に責めたて、ダウンを奪い劇的逆転KO。今競走馬の名前にもなっている「キンシャサの奇跡」です。

その後また今度はジョージ・フォアマンと対戦、「スリラー・イン・マニア」と銘打たれフィリピンで行われたこの試合で、フォアマンを14回KOに下します。

その後は、あの有名な猪木対アリ戦が行われますが、選手としてはピークを完全に過ぎたアリは、1981年トレバー・バービックに判定負けし、引退。

通算成績は61戦56勝5敗、56勝のうち37のKO勝ちでした。

戦績だけ見れば平凡かもしれません。複数階級制覇もしていません。しかし、人々が不可能だと思うことをやってのける彼のボクシング、そして人生にファンは惹かれるのです。

絶対負けると言われた、リストン、フレジャー戦、もうボクシング人生の終わりだと言われても自分の意思を通し貫いたベトナム戦争徴兵拒否。通算3度のヘビー級王座奪取。

人生そのものが「Greatest」と言わざるを得ません。

あの有名な映画「ロッキー」もアリの試合がきっかけです。MMAでよく耳にする猪木アリ状態も、もちろんアリから、モハメド・アリ・ボクシング改革法なんてものまであります。

とにかく多くの人から嫌われ、そして愛されたモハメド・アリ。

パウンド・フォー・パウンド、最強とは何かを考えたとき、ボクシングの強さももちろんですが、彼のような記録よりも記憶に残る男を最強に据えたいのが私の考えです。

生涯成績:61戦56勝37KO5敗

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第1位:マイク・タイソン

歴代パウンドフォーパウンド第1位はマイクタイソンです!

アリを1位にするかタイソンを1位にするか迷いましたが、これは独自視点ですのでご了承を・・

ヘビー級にしては身長が180センチと低い方だが、マイクタイソンの武器は

「フライ級並みのフットワークとスピードとキレ」そしてダイナマイトパンチで巨漢ボクサーを次々にKOしてしまうパンチ力

加えてコンビネーションブローで相手の急所を的確に打ち、致命傷を与えるとともに、ディフェンス面でも巧みなヘッドスリップで相手のパンチをかわして防御からの攻撃が凄まじいかったですね

まさに敵なし無双状態!当時のタイソンに勝てるボクサーは誰一人いなかった・・

 

そんなタイソンですが、あの風貌から想像もつかないが、少年時代は内向的でいじめられっ子

有名な話だが、大事にしていたペットの鳩を年上の不良グループの少年たちに目の前で殺されて

「キレた」タイソンは我を忘れてその不良達を殴り倒したことから、自身の強さに気付き、徐々に荒んだ生活へ進む

その後少年院に収監されてしまうが、その時にカス・ダマトに出会い、タイソンの才能に惚れ込んだ彼が身元引受人となったため少年院を出所後

ダマトの下でボクシングの英才教育を受けることに。このカス・ダマトとの出会いがマイクタイソンの人生を大きく変えていきます

アマチュア成績は52戦47勝5敗

1985年3月6日に18歳でプロデビューし以降通算28連勝して

1986年11月22日、29戦目にしてトレバー・バービックに2RTKO勝利し、WBC世界ヘビー級王座を獲得。

史上最年少(20歳5か月)で世界ヘビー級王者となる。

翌年、1987年3月7日にはジェームス・スミスに判定勝ちし、WBA世界ヘビー級タイトルを獲得。

さらに同年8月、トニー・タッカーに判定勝ちしてIBF世界ヘビー級タイトルを獲得して

3団体統一に成功。(WBA,WBC,IBF)

でもその間に11連勝を飾った直後トレーナーのカス・ダマトが死去してしまいます

1980年代のタイソンが一番の全盛期、誰もかなわなかったと思います。まさしく最強

だがしかし、タイソンの全盛期も長くは続かなかった

カス・ダマトから「ドン・キングと組んではいけない」と言われていたが、プロモート契約を結び、周りの関係者もタイソンを利用するように

そして離婚を経験、また暴行容疑で収監され、復帰後でも怠慢な練習不足から以前の全盛期の動きは見られなくなり精彩を欠くように

そしてイベンダー・ホリフィールド戦では「世紀の耳咬み」事件を起こしてしまう

晩年にはそんな奇行が目立つようなり、また薬物疑惑、破産

ボクサーとしてはとてつもなくスゴイ人だが、メンタルは弱い人だったのかなと思う

また世間知らずだった事から、色んな人に利用されてしまいました。ある意味タイソンは権力者の被害者だったのかなと思う

生涯成績:58戦 50勝 44KO 6敗 2無効試合

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殿堂入り

やはりこの「パウンドフォーパウンド」はシュガーレイロビンソンの為に作られたので、殿堂入りとします

シュガー・レイ・ロビンソン

冒頭で書いた通り、パウンド・フォー・パウンドはこの男のための言葉です、「拳聖」シュガー・レイ・ロビンソン、その人です。

私は、彼の試合をもちろんリアルタイムで見たことはありませんが、多くの人が彼を全世代通してのパウンド・フォー・パウンド1位に置いています。

まず戦績が桁違い、200戦175勝19敗6引き分け、175勝のうち109がKO勝ちです。

フリオ・セサル・チャべスの116戦108勝もかすんで見えてしまうほどのこの戦績、凄いとしか言いようがありません。1つの階級で5度チャンピオンになっているのも彼只一人。

デビュー当時の試合間隔を見ると、短いのでなんと3日!安全性が問われる今では絶対に考えられない試合間隔ですね。

「ボクシングはリズムだ、そのリズムをなくせば、悪い結果を招く」ロビンソンはこう述べたといいます。

確かに、それは彼の試合の映像、練習の風景を見てもわかる気がします。

ロビンソンが活躍していたころのボクサーといえば、現在と比べ不格好なスタイルのボクサーが多い気がしますが、ロビンソンのそれは今のボクサーと遜色ない、華麗なスタイルで相手選手を攻め込んでいます。

タップダンスもたしなんでいたようで、やはりリズムに重点を置き練習をしていたんでしょう。ロープスキップはもちろん、スピードバッグの時も常に足を動かし、リズムを刻んでいるようでした。

そしてライバルの存在も大きい。

ジェイク・モラッタ、カールボボ・オルソン、ジーン・フルマ、カーメン・バシリオ、ランディ・タービン

そして3階級同時制覇王者のヘンリー・アームストロング、彼らとの激闘が200戦の中には含まれています。

その「シュガー」の異名は伊達じゃない。それは、シュガー・レイ・レナード、シュガー・シェーン・モズリーのような名ボクサーに受け継がれています。

確かに二人とも、リズムをとりスピードの速い選手ですね。

ESPNやRINGは、彼を文句なしのパウンド・フォー・パウンドとして不動の地位を与えています。

そしてボクシング記者やファンからだけでなく、ボクサーからパウンド・フォー・パウンド歴代1位だと言われていることも特徴的です。

フロイド・パターソンはそのスピードとコンビネーションにあこがれ、ジョー・ルイスは彼を「BEST」と称賛しています。

さらに、私が第一位に選んだ男。彼はトラッシュ・トーカーのはしりですが、歴代パウンド・フォー・パウンド1位はロビンソンだとインタビューで明言しています。

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日本人最強は?

それでは続いて日本人歴代最強は?という事で書いていきたいと思います。

第5位:村田諒大

日本人初のオリンピックミドル級金メダリスト、そして竹原慎二以来となる二人目のミドル級王者を入れないわけにはいかないでしょう。

現代パウンド・フォー・パウンド:ゲンナジー・ゴロフキンに対抗しうる唯一の日本人。

それにはビリー・ジョー・サンダースやデビッド・レミュー、ダニエル・ジェイコブス等ビッグネームと試合し、倒す必要があります。

しかし契約するトップ・ランクは今ボクシング市場が未開拓のアジア市場に目を向けており、ボブ・アラム氏の村田への肩入れも大きいです。

現時点ではあらゆる面でゴロフキンに勝てる点が見つかりませんが、今後ミドル級トップ戦線との戦い、ゴロフキンの衰え等見えれば、そのチャンスは大いにあります。

次戦の対ブランダムラは38歳で同級6位、ここら辺は軽くクリアしておきたいところですが、果たして?

成績:19戦 16勝 (13KO) 3敗

第4位:川島 郭志

第13代WBC世界スーパーフライ級王者(6度防衛)

ニックネームは「アンタッチャブル」

防御技術に優れ、相手のパンチをなかなか当てさせないボクサー

何と言っても川島郭志の武器はディフェンス力、現役時代は日本プロボクシング史上屈指のテクニシャンと言われていました

その代名詞はスリッピング・アウェーと呼ばれる防御技術を世間に認知させた人物である。これは川島自身が「打たれ弱かった」ので、克服のために編み出した技術

また、普段の練習態度も極めて真面目で、"ボクサーの鑑"というべき存在でもあった

豪快にKOも魅力ですが、ディフェンス力で魅了するのはスゴイ、世界ではフロイドメイウェザージュニアや、ギレルモ・リゴンドウみたいですよ

川島の同期は鬼塚勝也ピューマ渡久地、平成三羽烏と言われたが

この川島郭志は苦労人で新人時代にピューマ渡久地にKO負けや拳の骨折などで大きく出遅れ

さらに辰吉丈一郎にも抜かれて、「終わったな」と思ったがクサらず弱点克服に着実に練習に励むところがすごいです

その後、鬼塚勝也は世界王座になったが、ピューマ渡久地はトラブルを起こし失踪

川島敦志はメンタルが強いんですね!普通だったら引退して別の仕事についていると思う

その後も世界チャンピオン⇒6度防衛して名チャンピオンに

現在はボクシング解説や東京都大田区に川島ボクシングジムを開設し未来のチャンピオンを育てている

生涯成績:24戦20勝14KO3敗1分け

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第3位:山中慎介

「神の左」と言われ世界戦も12度防衛

ルイスネリに敗れるまで、パウンドフォーパウンドの10位にランクインしていました

第65代日本バンタム級王者。元WBC世界バンタム級王者

辰吉丈一郎にあこがれてボクシングを始める

プロデビュー後は最初の頃はあまりぱっとしない成績だったが徐々に才能が開花

2011年11月6日、17戦目で世界初挑戦で11ラウンドに猛攻を仕掛け、1分28秒TKO勝ち

その後も世界戦でKO勝ちが見られるようになります

山中慎介の強みは何と言っても「神」の左ストレート。KOのほとんどが左ストレートですからね

アマチュア出身らしいワンツーを主体としたシンプルな攻撃に見えますが、そのパンチを当てる精度が的確です

それは相手との距離感やパンチを打つタイミングがいいからだと思います

もちろんフェイントや緩急でタイミングをずらしていますが、それプラス、山中慎介のパンチはタイミングがつかめないらしい

しかもパンチが顔面にくるかボディーにくるか分からないという

またカウンターの取り方もうまいし、「神」の左ストレートも内側に少しひねって打ち込んでいるので、コークスクリューパンチになり、威力が倍増⇒KOとなる仕組み

これができるのは山中慎介しかできない絶妙なタイミングなのでしょう

それが具志堅用高に迫る連続12回防衛記録となった要因ではないでしょうか

ただ残念なのは、ラスト2戦のルイスネリ戦が非常にもったいなかった・・

ネリが薬物疑惑や体重オーバーで正規な身体で挑まず、山中慎介が一方的にやられてしまったから

山中慎介自身も経年疲労があったと思う。晩年はダウンシーンをもらうケースがあり、もういっぱいいっぱいだった感がありますが

「神の左」は誰にも真似できないオリジナルの武器でした

生涯成績:31戦27勝(19KO)2敗2分

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第2位:具志堅用高

何と言っても日本ボクシング界を語る上で、頂点に君臨するのが具志堅用高

何と言っても日本記録の世界戦連続13防衛記録があります

元WBAライトフライ級チャンピオン

ニックネームは「カンムリワシ」。サウスポーでボクシングスタイルはファイタータイプ型。トレードマークは独特のアフロヘアーと口髭。

具志堅の世界初挑戦の時に「100年に一人の天才」というキャッチフレーズで売り出した

アマチュア時代の戦績は62勝(50KO、RSC)3敗

1976年10月10日、"リトル・フォアマン"の異名を持つWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマンに9戦目で挑戦。

戦績21勝(15KO)1敗、うち初回KO勝ちが11度という強打の王者に対して、挑戦者・具志堅は開始当初から軽快に動き回り、一発を狙う王者を回転の速い連打で圧倒し、2回、4回にダウンを奪った。

また、3回には手負いのグスマンの左フックを浴び、ロープに後退したが、グスマンの後続パンチを全てウィービングで外してピンチを切り抜けるなど、防御面でも天才的な動きを見せた。

そして、7回開始早々、グスマンをロープに追い詰め、コンビネーションブローで3度目のダウンを奪ったところでKO勝ちとなり、沖縄県出身者初の世界王者となった。

試合後「ワンヤ、カンムリワシニナイン(自分はカンムリワシになりたい)」と話したことから

カンムリワシ」の異名がついた。なお、9戦目での世界王座奪取は当時の国内最短記録となった

その後も快進撃を続けて連続13防衛

生涯戦績 24戦23勝(15KO)1敗

引退後もタレントやまた白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。現在は同ジムの会長として後進育成に力をいれ

所属する比嘉大吾が前王者フアン・エルナンデスを破ってWBC世界フライ級王者となり、所属ジムから初の世界王者が誕生した

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第1位:井上尚弥

今現役選手で唯一リング誌のパウンド・フォー・パウンドランキングに入っている日本人、それが井上尚弥です。

かつて日本ボクシング界にこんな完璧なボクサーはいただろうか?

  • 打ってよし
  • 守ってよし
  • スピードよし
  • パンチ力よし
  • 人格も良し(謙虚)

フィジカルもメンタルも完璧なのは、他のスポーツ界で言うと、

  • メッシ
  • クリスティアーノ・ロナウド
  • 羽生結弦
  • 大谷翔平

井上尚弥はこれらのレジェンドに肩を並べると思います

ライトフライ級、スーパーフライ級の2階級を難なく制覇し、バンダムのベルトも、ジェイミー・マクドネルに1ラウンドKO勝利で3階級制覇、さらにWBSSバンタム級トーナメントも優勝して敵なし。

ドネアとの再戦も楽しみです!

ファイティング原田、具志堅用高など他に日本人パウンド・フォー・パウンド1位に相応しい選手はいますが、今後予想される活躍を考えると、井上尚弥が一番です。

私が「井上ってやっぱり凄い」と思ったのは、ラスベガスでローマン・ゴンザレスの試合後、HBOボクシング解説者のマックス・ケラーマンが

「日本にいるモンスターとの対戦は如何ですか?」と聞いていたことです。

アメリカの試合後インタビューにおいて、まさか日本人の名前が出てくるとは、という印象でした。井上がアメリカで既に受け入れられている証拠です。

オマル・ナルバエスをして、ノニト・ドネア以上と言わしめたパンチ力

アメリカで見せたアントニオ・二エベス戦で見せた圧倒的力量。かつて試合が臨まれていたロマゴンよりも、アメリカでの期待値は確実に大きいでしょう。

心配なのは拳のけが。今は素手でサンドバッグなどをたたくなど強化をしているようですが、バンダム、スーパーバンタムに上げるにつれ強くなるパンチ力の代償として、その可能性はあります。

でも減量苦から解放されたので、少しは違うと思います

もう一つ、ライバルの不在です。直近の井上が試合後に言った言葉「全然物足りない」

はまさにそのことで、リカルド・ロペスのようにライバルのいない絶対王者にはなってほしくないですね。

バンタム級で唯一のライバルと言えるのが、ノニト・ドネア。ドネアとの再戦も制すればバンタム級は4団体統一か恐らく卒業か、そしてスーパーバンタム級に上げて4団体統一を成し遂げるのか?

 

関連記事:井上尚弥が3団体統一!ノニト・ドネアを2RTKOで沈める!強すぎる!!!

 

いままでプロアマ通じてダウン経験もない、打たれてもない、KOの山を築きあっさり勝ってしまう(ように見えてしまう)今までこんなボクサーはいたか?

以上のことから、日本人歴代最強は、現役のモンスター井上尚弥といたしました!

成績:23戦23勝20KO

 

関連記事:ついに井上尚弥がリング誌パウンドフォーパウンド(PFP)1位に!他メディアランキングは?

 

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まとめ

歴代パウンド・フォー・パウンドはマイク・タイソン

記録も記憶も残るボクサーとして第1位にさせていただきました。

これは世代間で大分違ってくると思いますが、私の独自視点で決めさせていただきました

日本人は、海外で史上最も高い評価と期待値を受けている井上尚弥

スーパースターに必要なライバルの存在を求め、バンダムへ転向し見事3階級制覇を達成

井上尚弥の時代が始まろうとしています。長期政権を築けるか?ワクワクです

これからのボクシングは面白くなりそうですよ

お見逃しなく‼

おわり

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