中学3年でボクシングをスタートし、高校時代はグレて中断。その後23歳で再開し、デビュー戦は1ラウンドKO負け。新人王、日本王者、東洋太平洋王者も取ったことのない男。
この男が、敵地中国で、しかもその国の英雄を打倒しチャンピオンベルトを奪取することなど、誰が考えたでしょうか?
現WBO世界フライ級王者である木村翔は、2017年7月28日まで完全に無名の存在。しかし今では「福原愛に次ぐ中国で最も有名な日本人」の一人となっています。
今回は、「チャイニーズ・ドリーム」の体現者・木村翔の中国での彼に対する反応などをまとめていきたいと思います。
木村翔ブレイクのきっかけ、対ゾウ・シミン戦
木村戦の前までのゾウ・シミンを一言で表すならば、「中国ボクシング界の至宝」。
2005年と2007年の世界ボクシング選手権では共に金メダル、さらに極めつけは、アテネ・北京・ロンドン3大会続けてのオリンピックメダリストであり、
北京とロンドンに関しては共にゴールドメダリストです。
過去、中国ボクシング界でここまでの成績を残した人間は、まずいません。プロ転向は2013年、アマエリート好きのボブ・アラブ率いるトップランクと契約。
ボブ・アラムにとっては、ボクシング市場未開拓の中国市場に攻め入る、大きな材料を手に入れたことになります。
初めての世界挑戦は2015年のアムナット・ルエンロエン戦。先日復帰を発表した井岡にも勝っていますね。ずる賢い、いやらしいボクシングをする選手です。
ゾウはルエンロエンに惜しくも判定負け。初の世界挑戦は失敗しましたが、そこからWBOインターナショナルの王座などを獲得し、
2016年末タイのクワンピチット・13・リエン・エクスプレス相手にWBO世界フライ級王座決定戦を行い、判定勝利。
順風満帆とまではいきませんが、デビュー3年目での王座獲得です。本人も取り巻きも、納得のいくキャリアでしょう。
そして初めての防衛戦、日本の無名ボクサー木村翔を迎える事になります。
対ゾウ戦までの木村は、ゾウと違い完全に無名。日本国内ですらその名前は売れていない存在でした。
上述の通り、新人王、日本王者、OPBFも取ったことがないボクサー。
唯一のタイトルは、ゾウ戦の前の前で獲得したWBOアジア太平洋フライ級王座のベルト。これはどんなタイトルなのかというと、OPBFのWBO版と考えていいでしょう。
OPBFはWBC傘下であり、本部が日本にあるので馴染み深いですが、同様のエリアでWBOもベルトを定めているといった理解で大丈夫です。
では、ゾウの対戦相手として、なぜこの木村が選ばれたか。
オプションを持つのはゾウ側でしたので、これはゾウの都合を少し考えれば分かります。
王座獲得後、ゾウは予てより自身をプロモートしていたトップランクと決別、トレーナーだったフレディ・ローチとも袂を分けていたのです。
なぜトップランクから離れる事になったかは定かではありませんが、おそらくボブ・アラムの方から愛想をつかしたんだと思います。
ゾウのファイトスタイルはボブ・アラムが嫌うリゴンドーよりもさらに退屈。
KOは少ないですし、省エネボクシングをするので、商品価値としてはすぐになくなると計算されたのかなと考えます。
もしくは、より多額のチャイナマネーを手に入れようと、ゾウ自身が自分のプロモーション会社を設立したいと持ち掛けたことで、仲たがいが生じたのでしょう。
ゾウは、プロモーション会社を設立し、そのイベントで自身の防衛戦を開催。絶対に失敗は出来ません。かといって、あまりに弱すぎる相手は中国のファンに受け入れられない。
そこで、白羽の矢が立ったのが、木村翔だったというわけです。そこまで強いというわけではないが、WBOアジア太平洋フライ級王座を保持していたという事でお茶を濁した感じです。
しかし、結果は知っての通り、ゾウの思惑とは完全に逆に向いてしまいます。
ゾウのプロモーションのため、映像は中国国内のみ。日本のニュースで流れる映像も、荒いものばかりでしたが、展開は以下の通りです。
序盤は完全にゾウがリングジェネラルシップを握ります。ダランと下げた両手、ヘッドスリップやボディワークで木村の攻撃をかわし、自身は細かいパンチを浴びせます。
完全な省エネボクシングで、なんとなくボブ・アラムが嫌いそうな感じ。少なくとも、アメリカのボクシングファンにも受け入れられないでしょう。
フレディ・ローチから離れた事もあり、過去の試合と比べてみても、オフェンスへの重点が下がったような気がします。
木村は序盤こそ苦しみますが、段々とゾウを下から崩していきます。五十嵐戦を見ても分かりますが、木村のボクシングは決してテクニカルではありません。
しかし、特筆すべきはそのスタミナ。大振りを繰り返し、体はバランスを崩すものの、それを何度も繰り返せる。そして終盤になっても下がらないガード。
彼のスタミナは目を見張るものがありますね。デビュー戦で負けた後、もう二度とこんな思いはしたくないという事で、かなり練習に力を入れたそうです。
現に、デビュー戦以外では2分けを挟むものの、負けは一つもありません。
ゾウは木村に段々と追い詰められていきます。技術では圧倒的に上ですが、スタミナと手数がそれを打ち崩しました。
ボディから崩されたゾウは、11ラウンド木村のラッシュにあい撃沈。「もう駄目だ」といった感じの、ゆっくりしたダウンでした。
無名の日本人ボクサーが中国の英雄を倒した!その反応は?
日本から来た名前も知らないボクサーが、中国の英雄を倒した。普通なら、ゾウへの大バッシングで終わるか、中国国内のボクシング熱が冷めるくらいで終わります。
しかし、事はそれだけではありませんでした。
上述の通り、木村は卓球の福原愛ちゃんに次ぐ「中国で最も有名な日本人」の一人。
ですが、ただ勝つだけではそうなりません。では、なぜここまで木村が中国での名声を手に入れたのか、探っていきます。
1つ目、素人目から見ても技術的に劣る木村翔が、中国という完全アウェーで中国の英雄を倒した事。
これは単純に、どこでも盛り上がるビッグアップセットです。
木村の応援団は10人ちょっと、日本人ですら期待はしていませんでした。というか世界戦で木村が中国に行っていることすら知らないボクシングファンも多かったはずです。
対して、ゾウの肩に乗っているのは、中国13億人の期待。その期待を打ち砕いたのですから、スーパーアップセットと言えるでしょう。
試合後、木村は喜びを爆発させ、リングに大の字になりました。
2つ目は、木村の流血です。中国のサイトで見たのですが、中国の方は格闘技の流血に慣れていないそうですね。
地上波で頻繁に格闘技の中継のある日本は普通かもしれませんが、中国のファンは「痛そう」「もうやめた方がいい」と思った方が多数との事。
木村は3ラウンドに右のまぶたをカット。血を流しながら残りのラウンドを戦いました。6ラウンド目にはドクターチェックが入るも、木村は絶対続行の意をドクターに伝えます。
試合中のボクサーはアドレナリンが出ていて痛みというのは正直あまり感じません。そんな事を中国の視聴者は理解できず「この日本人は本当によく頑張るな。。」と思ったんでしょう。
ゾウの試合はボクシングファンならずとも見ていたと思うので、余計にそう思う方が多かったんでしょうね。
3つ目は、試合後の木村の態度。木村は勝利後リングで大の字になりました。その後、すぐにゾウの元へ向かい、頭を下げ健闘を称えます。
アウェーで戦い絶対負けると思われていたのですから、ゾウの事などお構いなしに、もっと喜びを爆発させてもいいはず。
ボクシングという刺激の強いスポーツの中でも、礼節を忘れない彼の態度に胸を打たれた中国人も多かったと聞きます。
4つ目、木村とゾウのライフストーリーの対比、これが最大の理由です。
木村だけではありませんが、世界王者になるまでボクシング1本で生活することなど不可能です。世界王者になっても厳しいとはよく聞きますね。
これは試合後に中国で知れ渡ったことですが、木村は世界王者になった後も酒屋の配達のアルバイトを続けており、ボクシングの世界王者とはとても思えないような生活を続けていました。
雨の中トラックから酒樽を降ろし、トラックの助手席で弁当を食べる。チャンピオンにも関わらず、中国の労働者と変わらないような生活を続けている。
対して、ゾウはアマエリート。オリンピックを2度制覇し、生活は悠遊自適です。奥さんも元アナウンサーで、容姿端麗。
これでどちらに親近感が沸くかといえば、圧倒的に木村ですね。
中国の方は、正直ボクシングに詳しくありません。中国の現地解説を聞いても、超が付くほど基本的な事を説明しています。それだけ一般の中国の方にはこのスポーツが浸透していないのでしょう。
故に、ファンは木村のボクシング技術ではなく、彼が今まで辿ってきたストーリーに感情移入するのです。
配達の仕事をしながらボクシングに励み、やっとの思いで掴んだ世界挑戦のチャンス。
場所は中国という完全アウェーで、しかも相手はその国の英雄。流血をしながら、技術では圧倒的に劣りながら、不細工でも常に前で続け、終盤でやっとエリートを倒した雑草。
完璧に中国人の心を掴むストーリーです。
ゾウの方もその後少し可哀想でした。トレーナーも替え、プロモーションもボクシング素人の奥さんが担当。ボクシングのみに専念できる環境ではありませんでした。
木村戦の映像を見ても、完全に腹は締まっていません。しかも、今左目が殆ど失明状態との事。選手としては戻ってこれなくとも、是非指導者として中国ボクシング人材の育成に励んでほしいと思います。
チャイナドリームの体現者・木村翔
木村はゾウ戦以降、幾度となく中国メディアに呼ばれ現地インタビュー番組などに出演しています。
さらに木村の所属する高田馬場の青木ジムには連日中国人の観光客が来ており、木村の練習を見学しているとの事。
木村はさらに、同じくアマエリートの五十嵐俊幸を初防衛戦で倒し、ゾウ戦がまぐれではない事を証明しました。
中国でビッグファイトを制し、さらに初防衛戦は地上波で放送。5畳のアパートから、都内の高層マンションへ引っ越したそうです。まさに「チャイナドリーム」の体現者です。
2度目の防衛戦の相手、フローラン・サルダールも中国山東省青島で開催。当然会場は木村応援一色です。
期待にたがわず6ラウンドKO勝利。彼にとって中国はもはやアウェーではなく、ホームとなっています。
まとめ
中国のファンが反応しているのは、木村のボクシング云々よりも、「頑張れば報われる」という簡単なストーリーです。
何もかも持っていたゾウに、粘り強く立ち向かい、最後の最後で勝利を手に入れた木村に対しては、中国人ならずとも心を動かされたでしょう。
ゾウ、五十嵐とアマエリートを粉砕してきた木村ですが、次に待ち構えるのは木村のキャリア史上最大の敵、田中恒成。
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これに勝てれば中国、日本関係なく世界的に注目度はアップするのではないでしょうか?木村なら、何かやってくれそうな気がします。
「チャイナドリーム」をまだ見続ける事が出来るか、木村の今後に注目です。
おわり