昨今、軽量級への注目度がうなぎ上りです。
大手プロモーターがボクシング市場未開拓のアジア市場、特に中国に目を向けはじめた事も要因の一つですが
ノニト・ドネアやローマン・ゴンザレス、そして日本の井上尚弥のような、KOを量産するボクサーの台頭が最もな理由でしょう。
現に「Super Fly」という、おそらく十数年前であれば考えられなかった軽量級にスポットを当てたボクシングイベントも成功を収めています。
豪快なKOを生む重量級、黄金のミドルと称されテクニックと力が融合した中量級。
そうした中で、軽量級に対する声は「KOが少ないからつまらない」という、特に海外ではそういう見方をされることが多かったはずです。
しかしその軽量級の中で、しかも最軽量クラスのミニマムとライトフライで52戦51勝1引き分け、
51勝のうち38勝がノックアウトという、戦績だけ見たらフェザー以上の選手なんじゃないかと思えるような70%を超えるKO率を誇ったのが
本日スポットを当てるメキシコの雄、「リカルド・ロペス」その人です。
そしてリカルド・ロペスは軽量級最強だったのか、その強さの秘密、引退後の現在は何をしているかについて、書いていきたいと思います。
リカルドロペス強さの秘密、そして彼は軽量級最強だったか?
リカルド・ロペスは1985年1月18日、対ロジェリオ・ヘルナンデス戦でデビュー
以降2001年にゾラニ・ペテロ戦まで一度の引き分けを挟み、無敗のまま引退したメキシコが誇る名チャンピオン。
リカルド・ロペスというと、日本人はサッカー選手の方を思い起こす人も多いと思いますが、ボクシングファンにとってはなんといっても"Finto"の方ですね。
アマチュアでも無敗を誇っていたようです。このアマチュア無敗かつプロ無敗というのはリカルド・ロペス以外には見当たりません。
アマ歴は1981年から1984年までとそこまで長くないことを考えても、このレコードは驚異的です。
70%を超えるKO率が語る通り、まず特筆すべきはそのオフェンス。
早いパンチ、強いパンチ、パンチの種類にも様々ありますが、リカルド・ロペスのパンチは
「見えないパンチ」これがKOを量産した最大の要因です。
今でこそボクシングの実況で「ノ―モーション」と呪文のように言われますが、それが言われ始めた最初はリカルド・ロペスにあると思います。
見えないパンチというのは非常に効きます。「なんであんなパンチで倒れちゃったの?」という時、大体見えていない事が多いです。
例えば、不意に立ち上がり何かに頭をぶつけたとき、めちゃくちゃ痛いと思います。でもサッカーのヘディングってそこまで痛くないですよね?
同じようにぶつかっているのになぜ痛みに違いが生じるのか、それはその衝撃が意識の外にあるかないかの違いです。
ノーモーションパンチというのは対戦相手の意識外から飛んでくるパンチ、リカルド・ロペスはその使い手でした。
こう言うと、ノーモーションパンチというのは超高級テクニックのように聞こえますが、素人がボクシングジムに入会するとまず教わるパンチといえます。
予備動作の少ないジャブ、ワンツー、ストレート、「初めてのボクシング」といった本に載っていそうな動きです。
しかし、いずれそれは忘れられていきます。もっと早いパンチを打ちたい、もっと強いパンチを打ちたい、豪快なフックやアッパーを打ちたいという思いに駆られ
その意識は遠のき所謂テレフォンパンチになっていくのです。
プロでさえ、それを実際の試合のリングの上でやれと言われ簡単に出来るものではありません。
その基本のキを愚直なまでに極めたところ、それがリカルド・ロペスの一番の凄さといえるでしょう。
メキシコのボクサーというと、アグレッシブでガンガン前に出て、打ちつ打たれつのインファイターを想像しがちですが
ボクシング関係者・トレーナーに人気の「教科書」のようなボクサーは
リカルド・ロペスはじめ、ファン・マヌエル・マルケス、マイキ―・ガルシア等メキシコからも多く輩出されています。
最近ではエイドリアンブローナー対マイキ―・ガルシア戦において、解説のポール・マリナッジをして「textbook」と称されていました。リカルド・ロペスはその代表格ですね。
いや、リカルド・ロペスのパンチで最も凄いのは左のアッパー~フックだと言われる方も多いでしょう。
確かに試合映像を見ても、全く軸のぶれない左アッパーからの左フック、相当な体幹の強さだったと思います。
大橋秀行(現会長)にとどめを刺したワンツーからの左フック、
ロッキー・リンを破壊した左のロング、その他海外での試合を見ても、左アッパー&フックでフィニッシュブローにつなげています。
しかしそれも基本のジャブ・ワンツーがあってこそ。特に決めにかかったときの右ストレートの伸びはユーリ・アルバチャコフのような殺傷能力があるように思えます。
右ストレートに関しても少々。数少ないリカルド・ロペスのサンドバッグ映像を見ると、左右交互にアッパー気味のパンチを50発連続で打っている映像があります。
これは簡単そうですが、中々出来ない。右利き左利きがあるように、人間左右半身どちらかに偏る傾向があります。
しかし、リカルド・ロペスは左右全く同じ形状・曲線でパンチが出ています。バランスの良さと、肩甲骨が相当柔らかかったのではないかと思います
伸びてどこまでも飛んでいきそうな右ストレートも、この柔軟な肩から生まれたのではないでしょうか。
そしてディフェンス面、リカルド・ロペスが世界王座を11年間にわたり維持し、26回の王座防衛を果たしたのは
その卓越したディフェンスも外せません。
そのディフェンスもまさに「教科書」
明らかに有利に戦いを進めていた対大橋戦
完膚なきまでに叩きのめし、絶対有利の状況の中、それでもリカルド・ロペスの左腕は顔の前、右拳は顎を守りながら、全く隙のないマシンのように「150年に一人の天才」を追い詰めていきました。
卓越したスーパーテクニックで相手を翻弄するワシル・ロマチェンコの「精密機械(ハイテク)」という言葉はリカルド・ロペスにも相応しいような気がします。
大橋戦のために来日した当時の映像を見ると、リカルド・ロペスの鼻筋が非常に綺麗でまっすぐ通っている事が分かります。
それまでに26戦はメキシコ(内一戦アメリカ)で戦っていたはずですが
傷一つない顔がディフェンスの鉄壁さを物語っているようでした。
上述したサンドバックの映像でも、常にガードを意識しているように拳は高い位置に置かれています。
忠実に半身の姿勢で顔の前に置かれた左拳、隙の無い構え。そこからノーモーションでジャブを打たれたら、まず避けられません。
メキシコの名伯楽アルトゥーロ・エルナンデスをして「最高傑作」と言わしめた攻防ともに「教科書」に忠実な姿勢が、52人の猛者達をなぎ倒す強さへとつながったのでしょう
アルトゥーロ・エルナンデスの門下には、アレクシス・アリゲリョもいますが
彼はローマン・ゴンザレスが敬愛するニカラグアのチャンピオン、ロマゴン全盛期の詰めを見ていると、どことなくリカルド・ロペスのような動きに見える事があります。
彼は軽量級最強だったか?
この問に関しては、段階的にいかないといけません。
まず、当時のミニマム(当時はストロー)に限定するならば、間違いなく最強といえるでしょう。
最後の3戦を除き、全てミニマムで戦っているわけですが、ロセンド・アルバレスのテクニカルドローはあるにしても
ダイレクトリマッチでスプリットの判定勝利
しかもリマッチでロセンド側は体重超過していたので、リカルド・ロペスのミニマムにおける戦闘力を疑問視する声はないでしょう。
ただ、当時のミニマムに於いては、という条件をつけなければいけません。
軽量級はミニマムから何級までと厳密な定めはありませんが
リカルド・ロペスが大橋選手から王者を取り、引退するまでの1990年から2001年、仮にリカルド・ロペスがロマゴンのようにスーパーフライまでの軽量級4階級制覇を目指すとして
代表的なライトフライ~スーパーフライの選手は
- ユーリ・アルバチャコフ、
- マニー・パッキャオ、
- マルコム・ツニャカオ、
- ホルヘ・アルセ、
- 鬼塚勝也
などのビッグネームがいます。階級を上げ、リカルド・ロペスが彼らに勝てるかというと、すぐに首を縦に振るファンはそう多くないはずです。
そもそも海外でのリカルド・ロペスへの評価というものは、そこまで飛び抜けているというわけではないそうです。
一つは、同じ時代にフリオ・セサル・チャべスという超を何個つけても足りないビッグネームがいたこと、もう一つの要因として、ライバルが不在だったことが大きいでしょう。
そのボクサーの評価を上げるのはライバルの存在です。
遡るとモハメド・アリとジョージ・フォアマン、
ジョー・フレジャー、アルツロ・ガッティとミッキー・ウォード、
そしてパッキャオなんかは最たるものですね。
エリック・モラレス、ファン・マヌエル・マルケス、さらにフロイドメイウェザーと激闘を繰り返し、今でこそ衰えを見せますが
PFP(パウンドフォーパウンド)の常連として名を連ねていました。
ライバルがいることで、「最強」までの道を切り開いていくといった感じでしょうか。
それがないと、言い方は悪いですが「お山の大将」のような存在に見られがちです。
ちょうど、デビットレミューと戦うまでのゲンナジー・ゴロフキンがそうでした・・
今でこそケルブルック、ジェイコブス、そしてサウル・アルバレスと激闘を繰り広げ「最強」を認められていますが、それまでは「本物と戦っていない」と批判の声が多かったそうです。
リカルド・ロペスの戦歴を見ると、「これぞ名勝負」といった試合は見られません。
これで軽量級最強だったと言えるかというと、説得力のある材料が見つからないのです。
もちろん、上述の軽量級スーパースター達に、リカルド・ロペスが勝てないと言っているわけではありません。
実際勝つ確率だって相当なものだと思います。しかし、その説得力ある根拠が、彼の戦歴からは見いだせないということだけです。
リカルドロペスの現在は何をしてる?
とはいっても、その戦績はボクシングの歴史の中でも最たるもの。
15名いる無敗のまま引退したチャンピオンの中で
同じクラス、しかも最軽量のミニマムで22度の防衛は彼ただひとり
2007年「国際ボクシング名誉の殿堂博物館」にて殿堂入りをするのも当然と言えば当然です。
また、2014年には「BoxRec」から全世代通じてのミニマム級最強王者として文句なしの名誉を与えられています。
今ではスペイン語圏最大のテレビ局「テレビサ」のボクシングボクシング解説者・評論家として活躍しているみたいですね。ロマゴンの試合も解説していました。
ちなみに2007年来日し、ボクシング教室を開催したようです。
よく引退すると太るボクサーが多いですが(ナジム・ハメド、リッキー・ハットン、マルコス・マイダナ、特にハメドはひどい。)
2007年当時の写真を見ると、確かに現役のミニマムよりはふっくらしているものの、非常に筋肉質でしまった体型をしています。
170cmの身長でミニマムを維持した彼のストイックさは、ボクシング界を退いた今でも続いていることでしょう。
そして何より印象的なのが、そのボクシング教室での彼の言葉、
「基本が大事、ガードをしっかりしろ」
まさに教科書が話しているような感覚だったのかなと、勝手に想像してしまいますね
まとめ
以上がリカルド・ロペス強さの秘密、軽量級最強か否か、そして彼の今でした。
「教科書」のような超正統派ボクシング
それを以て全世代を通してミニマム級最強王者の称号は間違いなく彼のものですが、ライバル不在であったことから軽量級最強か否かは議論の余地がありますね。
そしてその基本に忠実なボクシングの姿勢は引退後も貫かれ、彼の人生の糧となっていることでしょう。
指導者としても非常に相応しいと思うので、是非第2のアルトゥーロ・エルナンデスのような名伯楽になってほしいと願うばかりです。
おわり